なつかしの駅名標
熊本県

国鉄高森線阿蘇下田駅。木造駅舎にかかる古風な駅名標。落書きは残念だが、汽車駅の情緒たっぷりである。今、このあたりの駅名は遊園地のように安っぽく改称された所が多く、呆れてしまうとしか言いようがない。(1985年撮影)
 
国鉄鹿児島本線上田浦駅。現在は隣にたのうら御立岬公園という駅がある。当時の上田浦周辺は夏は海水浴場として賑わっており、この駅も海水浴目的の乗降客がかなり多かったようだが、今はもうその面影すらない。(1983年撮影)
 
JR九州鹿児島本線川尻駅。2011年まで熊本の隣駅であった。駅裏には田園地帯が広がっている。現在は熊本との間に西熊本が、宇土との間に富合ができている。(2006年撮影)
 
国鉄宮原線北里駅。宮原線は、短距離の盲腸線には珍しく、県境を越える線で、この駅は熊本県側にあった。しかしそういった線形も災いしてか、廃線となってしまった。(1984年撮影)
 
国鉄豊肥本線水前寺駅。当時の豊肥本線は、昔ながらの汽車路線のままで、ようやく武蔵塚という新しい住宅地駅ができた頃。熊本市内でも駅間距離が長く、水前寺駅は木造の小さな駅であった。そのホームにこんな小さい駅名標が一つ下がっていた。(1985年撮影)
 
JR末期の鹿児島本線津奈木駅。新幹線開業とともに、この線は第三セクターに転換され、水俣との間に、新幹線と接続する新水俣という駅ができた。(2003年撮影)
 
国鉄湯前線東人吉駅。1989年に第三セクター化され、くま川鉄道湯前線となり、それと同時に駅名が相良藩願成寺駅に改称された。駅周辺は昔も今も人吉市の住宅街である。(1988年撮影)
 
山野線肥後深川駅。山野線の熊本県側は、最初は水俣川に沿う田園地帯で、次第に山に分け入り、やがてループで山越えをして鹿児島県側へと抜けていた。ここは水俣から2駅目で、単線の無人駅であった。(1986年撮影)
 
新水俣ができる前の、JR九州鹿児島本線水俣駅。鹿児島本線の主要駅の一つで、国鉄タイプの電照型駅名標が残っていた。九州新幹線が新水俣に停まることとなり、現在はローカル駅になってしまった。(2003年撮影)
 
国鉄湯前線免田駅。免田事件でも知られる町であるが、免田町が市町村合併で2003年にあさぎり町という意味不明な町名になり、駅名も遅れること6年、2009年にあさぎり駅に改称された。1989年に開業したおかどめ幸福駅も無い頃。(1986年撮影)


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