なつかしの駅名標
福岡県

国鉄宮田線磯光駅。複雑極まりなかった筑豊炭田地区の中でも、影が薄かった、2駅だけの盲腸線、宮田線。典型的な石炭輸送のための路線であった。ここ磯光は唯一の途中駅だが、最盛期には石炭積み出し設備も貨物支線の分岐もある立派な駅であった。(1985年撮影)
 
国鉄添田線今任駅。添田線は国鉄きっての赤字線として名高く、1985年に廃止されている。何となく手作りの味わいも感じられる駅名標である。(1984年撮影)
 
国鉄上山田線大隈駅。上山田線は事実上二つの線に分かれており、ここ大隈は、飯塚と上山田の間の比較的本数も人家も多い区間にあったが、それでも炭鉱閉山後の上山田の衰退もあり、閑散区間ともども1988年に一気に全線が廃止されてしまった。(1985年撮影)
 
地平駅時代の西鉄宮地岳線、香椎宮前駅。隣の駅、名香野は2004年8月1日から西鉄千早に改称され、JRとの乗り換えもできる立派な高架駅になった。(2003年撮影)
 
国鉄香月線香月駅。廃止の年1985年の撮影。香月線は北九州都市圏に近く、沿線には新しい住宅も見られ、利用客もパラパラとは見られたが、炭鉱全盛時代の遺物という扱いで、あっさり廃止されてしまった。(1985年撮影)
 
JR九州篠栗線城戸駅。このシンプルな駅名は、2003年に城戸南蔵院前駅に改称されてしまった。この写真を撮影したのは、国鉄がJR九州に変わって2年目なので、まだ国鉄スタイルの駅名標がそのまま残っていた。(1988年撮影)
 
国鉄上山田線熊ヶ畑駅。上山田線のうち、上山田〜豊前川崎間は、当時網の目のようにあった筑豊のローカル線の中でもひときわ本数が少ないローカル線であった。熊ヶ畑はその区間に存在した小さな無人駅で、1988年に路線廃止により廃駅となった。(1984年撮影)
 
国鉄勝田線下宇美駅。この線ほど経営的に廃止が惜しまれる線は少ないのでは。全線が完全に博多への通勤圏となる可能性を秘めながら、超ローカル線の運転本数ゆえ、輸送密度の低さで廃線となってしまった。隣の宇美は、香椎線では生き残った。ご覧の通り、この当時にして、写真で見てもそこまで田舎ではない。(1981年撮影)
 
鹿児島本線新中原駅。今の九州工大前駅。当時は西鉄の路面電車が走っていて、この駅のそばに工大前という停留所があった。西小倉駅も開業していたが、まだ日豊本線のみの停車だったので、隣駅は小倉になっている。(1985年撮影)
 
国鉄甘木線筑後松崎駅。開業当初からの古い駅であったが、1986年に第三セクターに転換される際、旧国名の筑後がはずされた。甘木鉄道になってから、両隣とも新しい駅が開業し、この駅名標の時代もずいぶん昔の話になってしまった。(1985年撮影)
 
国鉄勝田線筑前勝田駅。吉塚からの線の終点で、宇美の一つ先。博多に近いのに荒れ果てた感じの終着駅であった。勝田と大きく書いてあって、筑前をおまけのように足したこの書き方の表情が何とも言えない。(1984年撮影)
 
国鉄筑豊本線・香月線中間駅。今は文字通り単なる中間(ちゅうかん)駅だが、かつては運転上も重要な駅で、ここから折尾の手前までは堂々たる複々線であった。今は折尾との間に東水巻がある。当時、黒崎への短絡線には折尾駅ホームがなかったので、短絡線経由の列車は次の駅が黒崎であった。(1985年撮影)
 
国鉄筑肥線西新駅。廃止直前の写真。今は博多と姪浜の間は地下鉄になってしまったが、もともと筑肥線は博多が起点であった。地下鉄の計画があったため、福岡がそれなりの大都市となったこの頃まで、こちらは単線非電化路線として持ちこたえていた。地下鉄の西新とは場所は違うが、駅名は一緒である。(1983年撮影)
 
西鉄戸畑線日明西口停留場。1985年に部分廃止された西鉄北九州市内の路面電車にあった電停。このあたりは専用軌道だったので、一応ホームのある駅らしい姿をしており、そういう所にはこういった駅名標があった。廃止直前の撮影。(1985年撮影)
 
佐賀線百町駅。佐賀線は、県庁所在地に直結し、かつ盲腸線でもなく、人口密度も少なくない地域を走っていたにもかかわらず、業績振るわず、廃止になってしまった。百町は終点瀬高の二つ手前にあった無人駅。(1985年撮影)
 
国鉄鹿児島本線船小屋駅。特急停車駅に挟まれた田園地帯の小駅で、よもや新幹線の駅になるとは想像もできなかった時代の写真。今の筑後船小屋である。(1985年撮影)
 
西鉄宮地岳線宮地岳駅。線名にもなっていた駅名で、宮地嶽神社への初詣の時期などは賑わっていた駅。大都市近郊にもかかわらず、至近距離を走るJRが利便性を増すに連れてこの区間の乗客は減少し、2007年に西鉄新宮以東が廃止されてしまった。(2006年撮影)
 
国鉄矢部線山内駅。廃止直前の写真。地味な矢部線の中でも目立たない、八女市のはずれにある単線の小駅で、周辺は人家の点在する農村地帯であった。(1985年撮影)


隣の県へ移動
山口県 佐賀県 熊本県 大分県
目次(トップページ)へ戻る



本サイト掲載の文章・写真・画像等を無断で利用することは厳禁いたします。
(c) Copyright 2006-2020 Ekiyama (Natsukashi-no-Ekimeihyo)
inserted by FC2 system